Life is too precious.

伝道者の書1:1-11

Prepared Hymn: I need Thee / Key A#

今日はLIFEについて話をしたいです。

 

<伝道者の書1:1-11朗読>

 

「空の空」これが伝道者の書の最初の言葉です。

英語の聖書New King James version. ですと “Vanity of Vanities”「虚無の虚無」

New International versionですと“Meaningless! Meaningless!”「無意味だ。無意味だ」

ヘブライ語の原語ですとhebel(ヘボゥ) この意味は「蒸気」霧とか煙。例えば真夏の焼ける車のフロントに落ちるひとしづくの露。現れては、あっという間に消える。様なものをさします。

 

ヘブライ語の聖書のほかの場所でこの単語hebel(ヘボゥ)が使われるときは、「無意味だ。無駄だ」のほか「偽物、ばかげている、はかない」なんて訳されます。

 

出だしからこの書は、希望も未来も平穏もなく憂鬱で暗いムードに包まれています。まるで、筆者は「どれだけ人生は無駄なものか」を説明しようとしているようです。

この書を最後はこのような言葉で締めくくっています。

「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は善であれ悪であれ、すべての隠されたことについて、すべてをさばかれるのだ。」

でも、これがこの書の主題とは、言えないでしょう。というのは222節のうち、2節だけで、それ以外の220節は、やはり憂鬱で暗いムードで包まれています。

やはり、この本のメインのテーマは「いかに人生は空虚か」でしょう。

 

筆者については様々な議論があります。「これはイスラエル終わり時代、または紀元前167年におこった、ユダヤ人の反乱。マカバイ戦争の前に書かれた。」または「筆者は一人でなく複数で書かれた」などです。ただこの書の第1節に「エルサレムの王、ダビデの子、伝道者の言葉」と言っています。聖書に従うなら、イスラエル史で最も栄光のあったソロモン王が筆者と言ってよいと思います。

 

では、ここで、ソロモン王の人生の特徴について見ていきましょう。

  • 彼は神に愛されて生まれてきた。

  • Jedidaihと(ジェディダァ)と名付けました。この単語は「神に愛されている」という意味です。生まれた時から、栄光と神聖に満ち溢れ、神に献身して若い時代を過ごしました。

  • 彼はこの世で最も賢かった。

彼の賢さは、人によるものでなく神からのものでした。

神ご自身が「私はあなたに知恵の心と判断する心を与える。あなたの先にあなたのようなものはなかった。また、あなたのあとに、あなたのようなものも起こらない」(1列王記3:12)

彼はこの賢さで彼の王国を治め、イスラエルはもっとも繁栄した時代を迎えました。

 

  • 彼は最も成功した人だった。

 

  • 彼は年老いてから堕落しました。

 

このようなソロモン王が、老年、神から離れた後でこの書を書きました。

 

1節 ダビデの子、エルサレムの王である伝道者の言葉。

ここで著者は自分をソロモン王と言っています。

 

2節3節 伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。

日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。
「日の下」はこの書のKEYWORDです。23回出てきます。「いま生きるこの世」という意味です。

ソロモン王は私たちに問いかけます「なんでそんなまじめに働く?全部無駄なのに。すべてのものははかなくなくなるだけでまったく無意味なのに。」

これがこの書の全体に流れる空気です。これを、ソロモン王は最高の英知をもって説明していきます。

 

1:4世は去り、世はきたる。しかし地は永遠に変らない。
ここでソロモン王は人の生死を取り扱います。人はただこの世に一時期現れ、そしていなくなるだけだ。まるで露のように。

また、同じ伝道者の書3章20節では「みな同じところに行く。すべてのものはちりから出て、すべてのものはちりに帰る。」と言っています。

 

5節から7節にかけて自然を例にとっています。

(5節)日はいで、日は没し、その出た所に急ぎ行く。

(6節)風は南に吹き、また転じて、北に向かい、めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る。
(7節a)川はみな、海に流れ入る、しかし海は満ちることがない。川はその出てきた所にまた帰って行く。
 

4節から7節を通して、人も自然もなにも不変なものはない。と言います。

 

また7節では川をとって、何事も達成されるものはない。といいます。

 

(8節)すべての事は人をうみ疲れさせる、人はこれを言いつくすことができない。

目は見ることに飽きることがなく、耳は聞くことに満足することがない。
なにも満足させるものはない。

 

 

(9節)先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。
(10節)「見よ、これは新しいものだ」と言われるものがあるか、それはわれわれの前にあった世々に、すでにあったものである。

何も新しいものはない。


1:11前の者のことは覚えられることがない、また、きたるべき後の者のことも、
後に起る者はこれを覚えることがない。

例えはひいひいおじいちゃんの名前を言える人は少ないでしょう。ひいひいひいおじいちゃんでは?でも、これはたった100年ちょっと前の話です。このようにこの世にあるものは何も永遠に覚えられるものはないとソロモンは言います。

 

ここで、ソロモン王が私たちに語りかけたことをもう一度まとめます。

人生は意味がない。

不変なもの、達成できるもの、満足できるもの、新しいもの、記憶に残るものは、この世になにもない。

 

.そして、ここで、このような結論に至ったソロモン王の人生の特徴をもう一度、一緒に思い出してみましょう。

  • 神に愛されて生まれた。

  • この世で過去、未来を含め最高の知恵をもっていた

  • 最も成功した人だった

  • 老年になって堕落した。

 

ここで、もうひとつ最も大事な彼の人生の特徴を付けくわえさせてください。

彼にはイエス様がいなかった。

なぜなら、彼はイエス様が生まれる前、紀元前に生きたからです。

なので、ソロモン王の人生には

イエス様の奇跡も愛も、イエス様を通して現わされた神の愛も、イエス様の罪の購いも、復活も、昇天も、なにもなかったのです。

 

そのようなソロモン王が、老年に神から離れた時、彼の中には徹底した虚無しかなかったのです。

 

しかし、私たちは、新約の時代に生きています。

ソロモン王は「なにも不変なものはない」といいましたが、イエス様は揺るがない土台です。

ソロモン王は「何事も達成されるものはない」といいましたが、イエス様は十字架の上で人類の救いを達成されました。

ソロモン王は「なにも満足させるものはない」といいましたが、私たちはイエス様のすべてに満足します。

ソロモン王は「なにも新しいものはない」と言いましたが、イエス様は新しい契約を完成させました。

ソロモン王は「何も永遠に覚えられるものはない」と言いましたが、イエス様はアルファでありオメガであり最初で最後であり、永遠です。

 

もし、私たちが世界一の知恵を持ち、世界一の金持ちになり、最高の名誉名声を獲得し、1000人の世界中の美女に囲まれて生活しても、イエス様が私たちのうちになければ、人生の結論は「無意味だ」となります。

イエス様なしでは、私たちの人生はただこの世に一瞬現れて消えてなくなるだけの存在で、まっったく無意味です。

 

ヨブは「神と私の間に仲介者がいない」と叫びました。

ときに、自分など無価値だと思うこともあるでしょう。

ときに、生きる意味を見失い、空虚感に襲われるときがあるでしょう。

でも、思い出してください。

私たちはイエス様がいます。

イエス様をとおして「永遠」というものにつながれます。

自分で自分が大した無価値だと思っても、ときに、生きる意味を見失っても、世界、万物すべてのものを作った神がこのように宣言していることを思い出してください。

 

「私の目にはあなたは高価で尊い。私はあなたを愛している。」(イザヤ書43:4)