「みことばに希望をおく」

2テモテ3:15-17

By Rev.Taisuke Usui
 

「聖書とはどんな本なんだろう?」との内容を聖書の中にどう書いてしょうか?
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2テモテ3:16に「聖書はすべて神の霊感で・・」と書いてあります。これは、聖書は神について沢山の人が書いたものを集めたものではなく、神自身が、各書の筆者の個性、書き方、経験といったものを通して、僕ら「人」にむけて書いたということを確認しました。


「愛」そのものである神(1ヨハネ4:8)が僕らにあてた究極のラブレターとも言えます。

なぜ究極かというと、普通のラブレターは「愛について書かれているのですが」、

この聖書という本は「愛、そのものが書いた」からです。(笑)
 


そして、特性としては、
1. みことば(聖書の言葉)は真理 (ヨハネ17:17) →間違えがない。
2. みことばは永遠(1ペテロ1:24-25)
3. みことばは完全(詩篇19:7)→加筆、削除は必要ない.(黙22:18-19)
4. みことばは生きていて力がある(へブル4:12)
 

 

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「人生に成功する黄金律」「幸せの9つの法則」うんぬん。

本屋、ネット上には、これらの情報が沢山あります。

まず、沢山あるということは、「絶対、間違えがない」というものはないということです。

 

そして、これらのなかの「成功」とは、お金だったり、充実した人生や人間関係だったりといったもので、10代20代はあまり実現せず、また年老いて少しづつ体が衰え、この世での寿命を逆算するころにもあまり適応しません。

つまり、ざくっというと、人生の3分の1か、4分の1くらいしか使えない法則です。
 

それにより頼んで、生活して、達成しても、ある日、体調が悪くなって行ってみた医者で「末期の○○です。余命○年。」と言われた瞬間にみじんのかけらもなくなる法則でもあります。
 


 乱暴に言うと、そういうもので成功するのは「それを書いた人」だけかもしれません。

だって、僕が本当にそんな黄金律を見つけたとしたら、絶対だれにも教えません。

みんながそれをしたら「黄金」ではなくて、「ありきたりのもの」になりさがるのですから。

じゃあ、なぜ教えるかというと、教えるメリットがあるからするのです。
 

それは単純な本の印税と言ったお金だけでなく、人から得る「尊敬」だったり、多くの人が自分の考えに同調して、そのとおりに生活をしはじめる。といったものを見る、なんとも言えない満足感かもしれません。

 

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 また、「そのままでいいんだよ。」「なんとかなるよ」と言った耳に優しい言葉も、言ってみれば「鎮痛剤(痛み止め)」のようなものです。

痛み止めは、緊急の時には必要ですが、それ自体は、なにも解決はしません。

手術すれば治るものを痛みを散らし続けても、病状自体は進行するだけです。
 

 

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僕は、そのような、人生の数割に時期にしかつかえない「黄金律」や、モルヒネのように常習性があって、なにも治さない「痛み止め」を支えに生活したり、そこに自分の希望をおいたりはしません。

回り道とか無駄は嫌いです。

それよりも、僕が生まれるずっと前からあり、僕の寿命が尽きた後もずっと僕をケアしてくれる,

永遠であり、真理であり、完全であり、今も生きていて、パワーのある、「愛」そのものからの

ラブレター、御言葉に自分をより頼みます。

そして、そこに希望をおきます。
 


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2テモテの手紙は、ローマで処刑される直前のパウロが愛弟子のテモテに送った最後の手紙です。
その手紙の最後の章で、パウロは言います。


「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今から義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主がそれを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。」(2テモテ4:7-8)

僕もパウロのように、聖書の言葉、つまり御言葉を追いかけ、自分の今の人生の希望をおきます。そして、ある日、主イエス・キリストと顔を合わせて話をする日に「Well done:よくやったな」と言ってもらえ、義の王冠をかぶせてもらうのを楽しみに待ちます。

 

僕は御言葉に満足しています。

★実際のメッセージは、例えや、詳細な説明、他の聖書箇所の引用などを含み30分くらいのものです。

すいません。すべてを書ききれず、ここではざっくりとした要点のみとなります。

是非、聞きに来てください。